2010/09/07
弘前大学は、同大学全身の県師範学校卒業生で、戦前戦後を通じ少年雑誌編集者として活躍した加藤謙一さん(1896〜1975年)の功績を讃え、附属図書館に「加藤謙一文庫」を設置、洞図書館前に記念碑を建立し、開設式と除幕式を行いました。 |
弘前大学歴代学長告辞集 弘前大学入学式 平成18年4月4日の一部
皆さんは漫画が大好きと思います。以前は漫画は遊びの分野でありましたが、今ではアニメーションとして芸術文化の一ジャンルを形成するまでに至り、若者に深い人気があります。
その漫画の中で、『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』の漫画作家・手塚治虫を育て世に送り出した人は誰かの問いに、
それは今は亡き加藤謙一さんという方で、その方は本学の前身青森師範学校の卒業生で、我々の先輩だと知って驚くことでしょう。
更にこの加藤さんが、漫画『サザエさん』の長谷川町子、『オバケのQ太郎』の藤子不二雄を世に送り出した人と聞いてもっと驚くでしょう。即ち今流行の漫画の原点に、我々の先輩加藤謙一さんがいるのです。更に驚くことに、津軽出身の著名な作家・佐藤紅緑を児童文学の道へ歩ませたのもこの加藤謙一さんです。
加藤謙一さんは、明治29年(1896年)弘前市に生まれました。中学校、それは現在の青森県立弘前高等学校ですが、そこを卒業して市内の小学校で代用教員をしていましたが、まわりの多くの人々の支援により、本学教育学部の前身青森師範学校に入学し、そこを卒業しました。卒業後弘前市内の小学校教諭をしていましたが、そこで今ではもう見当らないガリ版刷りの、校内の児童向けの手作りの雑誌を作っているうちに、日本中に向けた児童雑誌を作ろうと周囲の反対を押し切って状況しました。
上京した加藤さんは、一時小学校の代用教員をして苦労しながら機をうかがっていましたが、ある方の紹介で当時としても著名な出版社「講談社」に採用になりました。そこでの仕事でたまたま加藤さんのガリ版刷りを見た社長があまりのきれいさに驚いて、入社一か月半の加藤さんを「少年倶楽部」という編集長に抜擢しました。時に加藤さんはまだ25歳でした。
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加藤丈夫(加藤謙一の四男) はじめに
太平洋戦争が終わって間もない頃、「漫画少年」という雑誌があった。
1948年1月号から55年10月号で廃刊となるまでの、8年という短命の雑誌だったが、 ここから手塚治虫をはじめ寺田ヒロオ、藤子不二雄、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、永田竹丸、松本零士など 戦後を代表する漫画家達が生まれ育っていった。
「漫画少年」は、戦前の講談社で長く「少年倶楽部」の編集長をつとめた父・加藤謙一が、 戦後、自宅を発行所として家族と共に細々と始めた雑誌である。
謙一は若い頃、郷里の弘前市で小学校の教師をしていたが、全国の子どもたちに喜ばれる雑誌を作りたい一心で上京し、 苦労の末に念願叶って「少年倶楽部」や「講談社の絵本」、さらに「野球少年」や「漫画少年」などの編集にたずさわることができた。 彼は編集長として多くの作家や画家、漫画家を育てたが、彼が心血をそそいだ「少年倶楽部」は 戦前・戦後を通じてこれほど子どもの人格形成に影響を与えた雑誌はないだろうと言われているし、 彼とその家族が力を合わせて作った「漫画少年」は戦後の漫画ブームの原点と言われている。 |
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